Yuki Imamura

三種幸福論

2024-04-24

心の奥底で幸福を感じながらもどこか物足りなさを感じてしまうことは、悪いことではない。むしろ、良い兆候だと言える。

何故ならその兆候は幸福の種類が一つだけではないことを示しているからだ。

周知のとおり、幸福とは心の状態だ。したがって何か境地に達したからといって、いつまでも続くものではない。道を踏み外さないためには幸福の種類を理解しなければならない。

幸福の種類は概して進歩、平静、存在の三つに分類できる。

そして物足りなさの原因は経験則によればこの三つの幸福が満たされていないことにある。

進歩

物事が前に進むことで得られる幸福。何かしら良い方向へと変化、成長を噛みしめているときに感じる。勉強、仕事、ボランティア、スポーツなどの習慣的な活動に含まれる。

平静

心身どちらかまたは両方の平静を保つことで得られる幸福。リラックス、リフレッシュしているときに感じる。散歩、旅行、温泉、読書、音楽鑑賞、娯楽などの余暇活動に含まれる。

存在

人や物、自身の存在と深く繋がることで得られる幸福。信仰による繋がり、家族や友人との愛情、チームやコミュニティとの交流などを通した安心感や一体感に含まれる。

この三つは特別なものではなく、日常生活の中で感じることができる。

しかし、私たちは幸福になるために生まれてきたわけじゃない。幸福になりたい願うなら自らその方向に向かっていく必要がある。物足りないと感じるのであれば、何かを見逃している可能性が高いと言えるだろう。

よくある勘違いは、進歩が自分にとって最も大切だからといって、友達や家族といることやその他の可能性を閉ざしてしまうことだ。逆もしかりで、平静だけが幸福だと思い込んでしまうこともある。

それぞれの幸福のバケツの大きさや量は人それぞれ異なる。他の人がどう感じるかを気にする必要は全くない。自分が何にどれだけの幸福を感じているかを認知することの方がよっぽど重要だ。

一点に満足して他の幸福を蔑ろにすることは、さらなる不満と不安を生む。あまり良い結果は生まないだろう。

すべてをどこまでも追い求めていけばいいという単純な話でもないが、確実に言えることは、幸福の種類は一つだけではなく、それらは共存可能だということだ。