Yuki Imamura

表現を追求する

2024-03-23

ビジョンを言葉で言い表せられないことがよくある。そのもどかしさ、恥ずかしさを超えて、どうにか言葉にしてもチープな言葉にしかならない。

そもそも言語化はそんなに得意じゃない。だから、なるべく多くの感情と思考を記録することにしてる。去年から将来的に自分のAIモデルを作ろうと思って、デジタルでの記録を強化したところだ。

記録することで思考の過程を追従できる。それによって過去と現在の思考の差分(diff)を読み取ることができ、結果的に良い気づきを得ることができる。言語化にも多少は役立っているだろう。

だが、やはり伝えたいことをシンプルに表現することは、ただ記録することとは違う。

自分の頭の中ではわかっていて構想はあるが、伝える言葉が思いつかなくて弱ってしまう。

言語化ができない、その理由は、本当は何も理解していないからだ。そんな教えを聞くと自分の悩みが情けなく思えてくる。

こんなふうに弱ったときは色々な人と会って、インスピレーションを得るようにしている。一人で悩んでも仕方がない。直接的に悩みを打ち明けて方法論を聞くこともあれば(そういうときはこうすればいいよ!)、相手という媒体を通して表現してもらうこともある(それってこういうことじゃない?)。

そんなわけで今回、助言を得たことを共有しようと思う。言語化のための方法について、目を向けることは2つにまとめられた。

  • 言葉を探し続けること
  • 言葉に縛られないこと

ひとつ目「言葉を探し続けること」とは、自分に合った言葉に出会うためには、腹落ちする言葉を探し続けなければならないということだ。

腹落ちする言葉は見つけるのは相当苦労する。下手したら数年はかかるが、見つかれば「これだ(Eureka)!」と思う。

そういう言葉に出会うための方法は、単純明快なのだ。

なるほど、たしかにそうだった。

自分自身が大切にしたいことの言語化は、大学1年生のときから探し、6年~7年を経てやっと見つけた。それはいくつかの漢字で表現でき、とてもシンプルなものだった。今では心の底で納得している。

見つけるのには多大な苦労をした。ただ、何度も言葉にしようとした。たいていの場合はいつも同じような内容に落ち着く。それもそのはず。もともと表現したいものは一緒。表現したいことは、すでに内在している。

ただ表現に利用したその言葉に満足できず、違和感があるだけだ。定期的に整理して、言葉で表現することをあきらめなければ、ふとしたときに腑に落ちる言葉が見つかる。

結局いつも思っていることや言いたいことは同じなのだが、ハマればその言葉が板につく。そして自信にもつながる。

しかし、厄介なのはすぐ見つけるのは難しいということだ。

そこでもうひとつの助言だ。それは「言葉に縛られないこと」。

言葉だけが伝える手段じゃないということだ。言われてみればわかるのだが、これは全くの盲点だった。

言語化はあくまでも言語の世界だけであり、それに合う言葉を見つけるのは大変だ。

言葉にすることに縛られすぎていた。

言語化以外にも方法はある。音楽、演劇、絵、映像、空間など多様な媒体を使えば、表現の幅はぐんと広がる。既存の作品、ドラマ、アニメ、マンガ、映画、小説なんかもいいかもしれない。

シミュレーション仮説を説明するのに長ったらしい説明はいらない。「『マトリックス』みたいなイメージ」とだけ伝えればいい。ARやVRの世界観、ビジョンを説明するのに『電脳コイル』や『Ready Player One』を見てもらえばいい。

それでも言葉にしたいのなら、そういった媒体を参考にして、言葉にしてみる。日常的に利用する言葉とは違う言葉が見つかるかもしれない。私の場合、本は日常的に出会うことのない言葉に触れる機会をよく提供してくれた。

音楽もきっと良い素材になる。「音楽で表現してみればいい」と言われたときはこう思った。

「音楽で表現するってどういうことだ!」

驚きと同時に楽しくなった。それからはビジョンを言葉以外で伝えるのは、かなり面白そうだと考えるようになった。

言葉に違和感があるのなら根気よく探し続けていればいい。言葉がすべてじゃない。言葉だけ、言語化だけという手法に線を引く必要はない。色々な表現に頼っていいし、表現方法はいくらでもある。

たしかにこれなら私でもできる気がする。そういった助言を得て、弱った気持ちが軽くなった。

私が思い描くビジョンに関して、まだ適切な言葉や表現は見つかっていない。だが、それはきっと時間の問題なのだろう。そして今、探し続けているがもどかしさを感じる人にとっても。